人にFOCUS(支部会員の紹介)

VOL3:昭和37年工業経営学科卒 山根 健介(ヤマネ ケンスケ)さん

 「71歳で黒帯をとられた」と聞き、どんな豪傑かと興味津々でご自宅に伺った。とろこが写真のとおり、とても温和で優しい眼差しの持ち主。お話を伺っていくうちに、子供の頃から現在まで、人との出会い・関わりをとても大事にして来られ、それが現在の山根さんの懐の広さであったり、興味関心を持ったことは何でも実行してみようという行動力に繋がっているように思えた。まるで少年の様に好奇心旺盛な山根さんの素顔に早速フォーカスしましょう。

---どうして千葉工業大学へ進学されたのですか?---

 生まれは宮城県石巻市ですが、岐阜県各務原市から広島県府中市に移り住みました。三川ダムの建設で集まって来る人々を見たり、話しているうちに、「将来は人を使うようになりたい」「そのためには経営関係の勉強をしたい」と思い、千葉工業大学工業経営学科へ進学しました。また、いろいろな人間模様を見ているうちに、度胸のある者が勝つ、強くなるために柔道部に入ろうと思っていました。

---どんな大学生活でしたか?---

 1、2年生の時は何でもやってみようと街の飲み屋に行ったり、パチンコやマージャンを覚えたり、友達をたくさんつくることを心がけました。当時、大学には広島県人会がなかったので、広島県出身者に声をかけて広島県人会を立ち上げ、1年生だった本岡学長も入会してくれました。また、予定どおり柔道部に入りました。木更津や沼津の合宿など、大変思い出多いクラブ活動でした。
 3年生になる直前に、子供の頃から兄弟同様にしてきた従兄と一緒にトランジスターラジオ組立ての下請会社を立ち上げました。仕事が忙しくなり柔道は続けられなくなりましたが、会社経営を通じて、楽しいこと、辛いこと、厳しいことなどいろいろな体験をしました。それが、大学卒業後の人生で貴重な財産になっています。現在、会社は埼玉県で広島電子工業(株)として従兄が事業を行っています。

---学生起業家として手掛けた事業が成功、でも卒業後は就職されたのですね---

 起業した会社に残ることも考えましたが、従兄との関係や両親の勧めもあって、三菱造船(現在の三菱重工)に就職しました。入社2年目の昭和38年にコンピュータが導入されたのですが、この時、卒論で取り組んだ事務分析が役立ちました。その後も大学で勉強してきたことが生かせる生産管理や経営管理などの部門を歩みました。
 私は、在職中、残業をしたことがありません。人生の目的は仕事をすることではありません。自分自身や家族を幸せにすることが目的だと思います。時間はそのために使いました。何事も目的を明確にすることが大事ですね。(写真は社会人時代に参加した社外サークル「広島エコークラブ」の活動の様子)
 最後は福山のNKK(現JFEスチール)の中にある関連会社で品質管理と安全衛生管理を担当しました。安全を確保するためには現場作業者のメンタルヘルスケアーが必要と考え、産業カウンセラーの資格をとりました。定年後は産業カウンセラー協会に入り、協会や中国支部の仕事に取り組みました。70歳を期に専任カウンセラーは辞めましたが、今でもボケ防止のために勉強を続けています。

---仕事をするうえでモットーにされてきたことは何ですか?---

 次の3つのことを心がけています。まず、「知行合一(ちこうごういつ)」です。知っていることは実行が伴って初めて知っていることになります。次に「信念を貫く」です。最近、「ぶれない」という言葉をよく耳にしますが、決心したことは何があろうとやりぬく気構えがなくてはなりません。3つ目は「人の心を大切にする」です。そうすることで嫌な思いをしたこともありますが、人の心を大切にしてきたからこそ今の自分があると思っています。

---71歳で黒帯をとられたワケは?---

 全国柔道大会に向けて練習に励む子供たちの姿をテレビで観て、「ああいいなー、またやりたい!!」と思い立ち、即座に道場を探して入門。52年ぶりに柔道着に袖を通したのが平成22年4月1日のことです。その年の6月の同窓会報に大学1年生の時に一緒に柔道を始めた鬼柳君がシニアの世界チャンピオン6段として紹介されたのを見て、ますます柔道に対する思いが深くなりました。そんな折、道場の先生から「初段に挑戦してみないか」と声をかけられ、平成23年3月に黒帯を頂くことができました。これからは体調のことも考えながら、無理せず75歳までは続けていきたいと思っています。

---これからやりたいことは?---

 趣味とボランティアの日々を過ごしていて、出来る限り続けていきたいと思っています。ボランティアは、これまでの体験を生かした高齢者に対する傾聴や、ホームでの懐メロや詩吟の指導をしています。広島市が主宰している「青少年支援メンター」制度へも参加しています。実際の活動は平成24年からになると思います。
 また、社交ダンス、車いすダンス、短歌などいろいろな趣味を楽しんでいます。
 「我が思ひままならぬものが三つある妻に娘にお金の出入り」私は、こんなふざけた短歌が好きなんですよ(^-^)。

---後輩に贈る言葉をお願いします---

 やはり、私がモットーにしてきた「知行合一」「信念を貫く」「人の心を大切にする」の3つですね。実践から学ぶことが大事だと思います。

リポーター:篠原高英(工化49年卒)