人にFOCUS(支部会員の紹介)

VOL2:昭和31年電気工学科卒 岩井 淳美(イワイ アツミ)さん

 日経ビジネス誌の2006年新春特大号の特集は「ニッポンの覚悟」。団塊の世代の大量退職が始まる「2007年問題」に対して、企業がどのように取り組んでいるかを紹介している。
 そこに登場したのが、今回、FOCUSした岩井淳美さん。造船の塗装で培われた技術と経験、そして何といっても懐がひろい人柄を見込まれ、2004年(71歳)から5年余り、中国の造船工場の現地責任者として活躍。その間、実に45隻の建造に携わられた。今日は、世界を股にした船乗り、いえ船造りの話が聞けるとあって、興味津々で伺った。

---どうして千葉工業大学へ進学されたのですか?---

 生まれは愛媛県の松山市。岡山県の倉敷にある高校から千葉工業大学電気工学科(1期生)に進学しました。当時はとにかく倉敷を離れて東京に行きたかったですね。
 終戦の年(昭和20年)まで松山市で過ごしました。米軍の空襲で一夜にして焼け野原となり、このたびの東日本大震災の映像をみて、当時の光景がよみがえりました。

---どんな大学生活でしたか?---

 入学当初は6人部屋の寮(兵舎を利用したもの)に入りました。その後、3人で6畳一間に下宿、自炊をしました。この時一緒だった2人とは卒業後も付き合いが続いています。(右の写真は大学時代の岩井さん)
 学生時代に印象に残っていることと言えば、1つ目は船橋オートレース場です。バイクの音が好きでした。2つ目は友人とのバイク旅行、3つ目は卒論、4つ目がソフトボールをしたことかな。
 卒論のテーマは「セルシンモーターによる自動制御」でした。セルシンモーターとは、今のロボット工学のベースの技術で、先端技術が面白かったですね。

---卒業後はどのような道を歩まれたのですか?---

 昭和31年、沼津に本社がある会社に入り、9年後千葉工大の同級生が専務をしている会社に転職、さらに7年後の昭和47年、私も出資し弟が設立した会社に入りました。おかげで、いろいろな機械を設計・製作・販売したり、製品や装置を輸出入したり、実に多彩な仕事を経験しました。日本だけでなく、韓国や香港、インドネシアへもよく行きました。
 造船の塗装を現場指揮するようになったのは、昭和51年(1976年)頃からです。以来、1998年まで20年以上も続けました。
 思い出に残っているのは、インドネシアでロビービジネスを展開して商売は不実に終わりましたが、政財界の要人とのパイプが出来たことです。当時のスハルト大統領の自宅パーティーにも招かれ、大統領夫妻に挨拶しました。おかげで、その後の商売をうまく運ぶことができましたね。

---71歳のとき、中国に渡って船主監督に就任!! 凄いバイタリティーですね---

 1998年に会社を整理して、しばらくは年金暮らしをしながら、事業創生をにらんでアルミの表面処理の研究をしていました。その後、長年、造船の塗装を請負っていた企業の代表者から口説かれて、中国行きを決心しました。結局、2004年(71歳)から5年余り、中国の秀山島(上海の南東の島。上海から飛行機で50分)で建造船の監督をしていました。
(左の写真は進水式を終えたばかりの船)
 よく言うんだけど「年齢(とし)は自分でとるもの」。60歳を過ぎても年齢は気にしなかった。ある時、骨年齢を測ったら53歳、自信になりましたね。70歳を越えてからは、いつ死んでもいいように心構えと自分の行動をどうしていくか、毎日、反省しています。

---文化も習慣も異なる地では苦労も多かったのでは?---

 造船の仕事がキツイことは長い間携わってきたので承知しています。しかし、教育して1人前に育てなければならない。そのためには「相手を愛することが大切です。愛さないと自分の技能は伝わらない」。何とか1人前にしてやりたいという愛が必要ですね。
 それから、「言い分を聞いてやる」ことです。聞けばわかり合える。和顔布施という言葉があるように、笑顔で接するように心がけました。

---これからやりたいことは?---

 健康第一ですね。中国での5年間、医者通いはしなかったけど、帰国して問題が見つかりました。今は健康を取り戻したので、ウォーキングをしたり、スポーツジムに通ったりしています。
 それから旅行をしたいですね。中国赴任中は、休みになれば中国国内を旅行しました。山水画のもとになった黄山(右の写真)は印象に残っています。
 アジアにはよく行ったので、今度はヨーロッパに行きたいですね(奥様とご一緒に、とおっしゃっていました)。

---後輩に贈る言葉をお願いします---

 掃除ひとつをとってもそうですが、目の前の仕事に全力をあげて取り組むことが大切です。それから新しいことに取り組もうというチャレンジ精神を忘れないで欲しいですね。年齢は関係ありません。いつまでもアグレッシブに行きましょう。

リポーター:篠原高英(工化49年卒)